自分が悪くても素直に謝ることが苦手・出来ない理由

こんにちは、浜松市はりを刺さない鍼灸師の佐野です。

自分が悪くても素直に謝ることが苦手な方が一定数いらっしゃいます。実は私も元々謝るということが苦手でした。

友達など心理的な距離が遠い人には謝ることが出来ても、私達は家族など親密な人になるとなかなか謝れないこともあります。

今回はどういう理由で謝ることが出来ないのかを知り、どうやって謝れる自分になって良い人間関係を構築していけるようになるのかを一緒に考えていきたいと思います。是非、最後までご一読ください。

結論:謝ると自分の価値が下がると感じてしまう

私自身もそうでしたが、謝ると自分の価値が下がったような、自分が相手よりも劣っているような、相手に対して今後自分の意見を言ってはいけなくなるような、感覚をあなたは感じていないでしょうか?

自分が悪くても謝れない根っこの部分には自分の自尊心と子供の時にどのような叱られ方をしてきたのか?過去にけんかの後に人間関係をどうやって修復してきたのか?と関係が深いことがあります。

「自分が悪いとわかっているのに、なぜ謝ることが出来ないのか?」を、心理学的視点から理解し、それを乗り越えて謝る力を育てるための方法について一緒に考えていきましょう。

謝ることは行為に対して行うこと

謝ることは自分の存在価値を否定するものではありません。

本来は自分が行った特定の行為が誤りであったと認めて、それに対して謝罪することを意味します。

しかし、いざ謝ろうとすると「私が行った○○が悪かった」ではなく「私が悪かった」と無意識に主語を間違って認識して、自分自身が否定されるような感情がわいてきてしまうことがあります。

謝罪が必要になる場面において、相手が怒っているのは「あなた」ではなく「あなたの行為」です。あなたの人格や存在など、あなたの存在や人格に対して怒ることは基本的にありません。

もちろん、謝るという行為によってあなた自身やあなたの価値が否定されるわけではなく、その行為に間違いがあった可能性があるということです。

罪を憎んで人を憎まずという言葉があるように、行為を行った人物とその行為自体は別物であり、それらは分けて考えることが大切です。

例えば、あなたが遅刻をしてしまった時、それはあなた自身がダメな人間だというわけではなく、その行為(遅刻)が適切ではなかった、ということになります。

その為、謝るのは遅刻したことに限定して謝るのが普通です。

しかし、遅刻するような私はダメな人間であることを認め、謝罪しなくてはいけないと、間違った主語に入れ替わってしまうことで、自分の存在や価値を否定することにつながっている可能性があります。

子供時代の間違ったしつけ

行為を行った人物とその行為自体は別物という感覚は、子供時代にあなたがしつけとして親御さんからどのようなしつけを受けていたのかと密接な関係があります。

例えば、あなたがおもちゃを出しっぱなしにして片付けていなかった時に、片付けようね、片付けなさい。など、行為だけにフォーカスしてしつけを受けている場合は、行為自体を叱られたと学習できます。

しかし、「あなたはいつもおもちゃを出しっぱなしにしてダメね」と行為ではなくあなたを否定されるような言葉をかけられたり、「片付けないなら捨てる」、「片付けないあなたが悪いのでしょう」「不機嫌になる」など、行為ではなく罰を与えることで言うことを聞かせようとするしつけを受けると行為を行った人物とその行為自体を区別して考えることが苦手になります。

行為を行った人物とその行為自体の分離が難しくなり、謝るということは自分が拒否されたり否定されていると感じます。

逆に言うとあなたが人を評価する時も、○○するような人はダメというように、行為と人物を混同してみてしまうことにつながります。

謝ったら負け、自分の方が下だと感じてしまう理由

このようにあなたを否定したり、関係のない罰を与えるしつけを受けることは、正確に表現すると調教です。

あなたが間違える度にあなたのことを否定し、言うことを聞くようにあなたを心理的に支配するという方法なので、間違えることを極端に恐れたり、間違えを認めることが危険なことだと認識してしまいます。

その為、自分の間違いを認めて謝るという行為は、相手の言い分に従わなくてはいけない、相手の命令に従わなくてはいけないなど、「自分が下」という位置づけになると感じてしまいやすくなります。

謝罪をしたからといって相手の言いなりになる必要はありません。

謝罪をした後でも

「本当に悪かったと思って反省しているなら○○しなさい」

など、さらに過剰に反省や反省を行動で示すように要求されてきた人は、謝ることで過剰な代償を支払わされると思い、謝ることが危険なことになってしまいます。

あなたの存在価値は変わりません

自分が間違いを認めて謝ることで、あなたの存在価値が減るわけではありません。

むしろ、自己認識をしっかりと行い、人間関係の改善を行える対人関係スキルを身につけていると言えます。

今まで謝ってきた経験が少ない方は、謝ろうとすると感情が邪魔をします。

しかし、その感情に従わずに、自分が間違えた適切な範囲内での謝罪をすることで、徐々に謝ることが出来るようになってきます。

これは認知行動療法や暴露療法の一種で、部分的に謝るという体験を繰り返していくうちに自分は適切に謝ることが出来る人間だというセルフイメージが作られていくためです。

自分が間違っていたと認識した時、それは新たな学びと成長の機会とも言えます。

謝罪はあなたの人間としての成長する大切なチャンスなのです。

行為に限定して謝る練習をする

そうはいっても、謝ることが苦手な人にとって、謝罪をするというのはとても難しいことです。

なぜなら、謝ると頭の中で自己否定やお前はダメな奴だという誤った思考が自動でぐるぐると回り始めてしまうからです。

そこでお勧めなのが、行為の一部に限定して謝る練習です。

例えば、「私が○○したことで、あなたを不快にさせてしまい、ごめんなさい。」などという形で、謝罪を行為や相手を不快に感じさせたという相手の感情に限定して表現すると、自己全体が否定される感覚が薄くなるため、謝罪がしやすくなります。

限定することで、自分自身の価値とは無関係であるということを意識することが大切です。

怒りの感情がある時は物理的に距離をとる

人間は感情の生き物といわれます。謝罪が必要な時というのは喧嘩していることが多いです。

その為、怒りの感情から相手との人間関係を破壊しても構わないという気分になっていることが多いです。

しかし、その相手との人間関係を破壊したときにあなたに何が起こるのか?を一度冷静になって考えることが大切です。

本当に些細な小さい事で、本当に目の前の相手を失っても良いでしょうか?目の前の相手が明日事故で亡くなったとしても、同じように一時的な感情で相手との人間関係を破壊しようとするでしょうか?

おそらく多くの人はそうはしないハズです。

自分の方も怒りがある場合には冷静になるまでとりあえず物理的に距離をとることも大切です。

謝罪の本来の目的は相手にあなたとの関係を継続していきたい。大切にしたいと伝え人間関係を修復し、より強固にすることです。

まとめ

謝ることは、自身の存在価値を否定するものではなく、特定の行為が誤りであったことを認める行為です。

謝ることが苦手な原因は、子供の頃に行為ではなく人格そのものを否定するような叱られ方をした経験や、行為を行った人物とその行為自体を区別する教育を受けていなかったからかもしれません。

また、間違った行動に対して厳しい罰が与えられる経験があると、謝ること自体が危険な行為であると感じることもあります。

そのため、謝罪はあなたの存在価値を否定するものではなく、特定の行為について謝ることを恐れないようになることが大切です。

あなたの存在価値は謝罪によって減るわけではなく、謝罪は対人関係の改善や自己認識のスキルを高める機会でもあります。

謝罪が苦手な方は認知行動療法や暴露療法の一環としてまずは、自分の行動に対してだけ謝ることから始めてみましょう。

謝罪が必要な時に怒りがある場合には、一時的に物理的な距離をとり冷静になることも重要です。

謝罪の本質は、相手との関係を継続し、強固にすることを伝えるための行為です。

当院でうまく謝ることが苦手な自分を改善したい方はお問い合わせよりカウンセリング予約をお取りください。

遠方でカウンセリングへの来院が難しいけれど、相談したいという方はオンラインカウンセリングをご利用ください。

心身堂鍼灸院院長
この記事を書いた人
鍼灸師 佐野 佑介

静岡県浜松市中央区和地山で自律神経・メンタル専門のはりを刺さない心身堂鍼灸院を開業。
自身も26歳の時にパニック障害から自律神経症状に苦しんだ経験を持つ。
パニック障害、広場恐怖症、うつ病などの精神疾患領域と起立性調節障害、機能性ディスペプシア、眩暈などの自律神経疾患の専門の鍼灸師。
国家資格 はり師(148056号)・きゅう師(147820号)
医薬品登録販売者試験 合格

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