他人の役に立ちたい中毒になっていませんか?

他人の役に立ちたい中毒になっていませんか?

結論:私達は人の役に立つことで幸福を感じますが、人の役に立てていない自分はダメだと感じる時は要注意

人の役に立ったと自分が感じた時に、私達は幸福感を感じます。

しかし、人の役に立てていない時に自己否定的になったり、不幸が増すわけではありません

人の役に立てていない自分はダメだと自己否定的に感じてしまう方は、人の役に立ちたい気持ちが幸福感を求める人間本来の感情から来ていないことがあります。

健全な心は自分自身の存在を、そのまま肯定してくれます。

役に立つことを自分の存在意義にしていませんか?

役に立つことを自分の存在意義にしていませんか?

役に立っていても役に立っていなくても自分は存在していていいし、愛されていいし、優しくされていいと自分に許可できている、自分を肯定できている状態です。

人の役に立つことがいけないという意味ではありません。

その動機があなたの中にある自己否定感から逃れる為になっていないか?まずはそこを振り返ってみましょう。

人の役に立ちたいと思うのは人間の本能の一部

人の役に立ったと感じた時に私達は幸福を感じることが出来る動物です。(ここでは「利他の幸福感」と呼ぶことにします。)

人の役に立ちたいと思うのは幸福を求める人間のとても自然な欲求です。私達ホモサピエンスは助け合うことで厳しい自然環境を生き抜いてきました。

自分がたくさん食糧を手に入れられた日に、食糧を手に入れられなかった人に食糧をわけておくと、逆に自分が食糧が得られなかった日に食料をわけてもらえる確率が上がります。

他人の役に立った時、幸福感を感じるのが私達人間です。

他人の役に立った時、幸福感を感じるのが私達人間です。

情けは人の為ならず(巡り巡って自分に返ってくる)とは言いますが、利他行動をしたときに幸福を感じる個体の方が結果的に生き残りやすかった為、現代の私達にもその特性が引き継がれているのです。

進化論の自然選択的に考えると、他人を助けることで幸福感を感じる脳の仕組みを持っている個体が、多く子孫を残すことに成功し、利他的な幸福を感じない個体は数を減らしていきました。

その結果、他人を助けた(人の役に立った)際に幸福感を脳が感じるように私達は利他の幸福を感じる仕組みを持っているのです。

人の役に立てない自分は無価値でダメだと否定していませんか?

私達は人の役に立ったと感じた際に幸福感を感じますが、人の役に立てていない状態になると不幸に感じるかというと、そうは出来ていません。

人の役に立てないからといって嫌な気分になるというのは本能に由来するものではありません。

人助けをして役に立ったと感じると幸福感を感じます。

人助けをして役に立ったと感じると幸福感を感じます。

利他行動は私達に幸福感を感じさせてくれます。

しかし、利他行動が出来ないから、していないからといって不幸になったり、自分自身に対して否定的な感情がわいてくるわけではありません。

しかし、例外があります。

それは元々、自己肯定感が低く、自己否定や嫌な気分が強い方は利他行動から来る幸福感がなくなると自分の存在価値を信じることが出来なくなってしまいます。

自分が慢性的に抱えている生きずらさ、自己否定、嫌な気分、不安、鬱っぽさといった苦しさが利他の幸福感という痛み止めによって紛らすことが出来るのです。

アルコール依存症も心理的な辛さを飲酒によって忘れることが出来ることからどんどんはまっていってしまうのと同じで、自分の苦しい感情から逃れる手段として利他の幸福感に依存していきます。

そうして他人の役に立ちたい中毒に陥っていきます。

自己犠牲をしてでも他人の役に立とうとするのは、自己否定の苦しさから逃れる為ではありませんか?

自己犠牲をしてでも他人の役に立とうとするのは、自己否定の苦しさから逃れる為ではありませんか?

動物保護・介護士・看護師など自分の生活や家庭を破壊してまで社会や弱者に奉仕するタイプの方と、パートナーや親・兄弟・子供・友人など、ある程度限定した人に奉仕していくタイプの方がいます。

他人の役に立ちたい中毒になると、自己犠牲を伴ってでも利他の幸福感を得ようとします。

社会的には自己犠牲をいとわず利他行動をとる姿は素晴らしい人というように映ることもあります。

しかし、本質的に求めているのは、他人の役に立ちたいのではなく、自分の存在を肯定して欲しい、役に立つことで存在価値を与えて欲しいといった状態です。

必要なのは自分の存在をそのまま肯定できるようになること

他人の役に立とうとすること自体は悪いことではありません。

しかし、利他の幸福中毒になってしまう方は、そのままのありのままの自分は無価値でダメだという自己肯定感の低さを抱えていることにあります。

自己肯定感とは条件を付けずにありのままの自分を肯定する感覚のことです。

他人の役に立っていなくても、周りに迷惑をかけていたとしても、それが自分なんだ、そのまま自分はここにいていいし、存在していていいと、自分の存在そのものを条件なしで肯定できている感覚です。

あなたの欠点・短所などネガティブなところがある自分を自分らしいと肯定する事。

あなたの欠点・短所などネガティブなところがある自分を自分らしいと肯定する事。

自己肯定感が極端に低いと役に立たない自分は存在していてはいけない、迷惑をかける自分なんてこの世から消えるべきだとさえ感じることもあります。

価値がないなら死ぬしかないなど、思考が極端なのです。

利他の幸福感を求める正常な欲求以上に、人の役に立つ存在にならなくてはいけないと考えていますし、迷惑をかけては絶対にいけないと感じます。

利他の幸福感を感じている時だけが、自分は存在していていいんだと安心していられるのです。

休めない、頼れない

どんなに体調が悪くても仕事を休めなかったり、迷惑になるからと他人に助けて欲しいと頼ることが出来ない方は要注意です。

なぜ自分は仕事を休めないのか、なぜ自分は迷惑をかけることに強い罪悪感をを感じるのか?

一度自分と向き合ってみることが大切です。自分の存在を否定する感覚はとても怖いです。

ありのままの自分の存在を肯定できずに、自分がこの世に生きていていいと思えない、そんな自己否定している自分に気が付いてしまうぐらいなら、口では生活があるから休めない、職場の皆に迷惑がかかるからといって、自分を納得させようとします。

そういう方ほど、どれだけ心身にストレスがかかっていたとしても、動けなくなるまで無理をしてしまいます。

そして、そのストレスに心身が耐えきれなくなった段階で、適応障害、うつ病、パニック障害などを発症し、その部分を治さない限り再発と寛解を繰り返して泥沼化していきます。

自己肯定感が低いことがメリットになっている

適応障害、うつ病、パニック障害を発症することで、自分の存在そのものを受け入れていけるようになるきっかけになる方は多くいらっしゃいます。

私自身もそうでしたし、当院で元気を取り戻される方の多くは自己肯定感の低さがが発症前より改善されます。

しかし、自己肯定感が低いことがメリットになっている人は、どんなに苦しい状態であっても、自分を受け入れるということを拒否します。

自己肯定感が低い状態でいると、他人の役に立つ存在になるために尋常ではないほどの努力をするモチベーションにすることが出来ます。

自己肯定は努力する燃料。自己肯定したら自分がダメな人間になりそう。

自己肯定は努力する燃料。自己肯定したら自分がダメな人間になりそう。

自己肯定感が低いことで、努力して能力を高めてきたのに努力もしていない自分を自己肯定してしまうと努力しなくなって本当に誰からも必要とされなくなってしまうのではないかという恐怖に襲われてしまうのです。

自己肯定感が低いことをメリットにしている自分に気づくことは大切です。

ありのままの自分を受け入れたら、どんどんダメになっていくという感覚は今まで自己否定を繰り返し、それによって役に立って周囲の人に受け入れられてきた方です。

本当はすぐそばにいる人の中に、あなたがあなたであるという理由だけであなたの友人やパートナーになっている人がいるにもかかわらず、そのことに気が付いておらず、役に立つから友人やパートナーでいてくれていると本気で信じてしまっている状態です。

原因は小さい時の養育環境の可能性

自己肯定感が低くなったり、無価値観が強くなってしまう理由は小さい時の養育環境に強く影響を受けます。

親御さんから、○○でなくてはダメでしょ!○○出来て偉かったね。○○も出来ないの?など、条件付けで褒められたり、拒否されたりといった体験が多いことが影響してきます。

もしあなたの自己肯定感が低く、無価値観が強い場合には、あなたの親御さんに無条件で受け入れてもらい、愛してもらったという感覚をあなたが感じるような接し方(養育)を受けてこなかった可能性があります。

特に記憶になくても生後半年から1歳半ぐらいまでの間に十分な安心感を与えられて育つと自己肯定感が高い子供に育ちやすくなります。

記憶にはなくても、赤ちゃんの時の安心感が自己肯定感と深い関係がある。

記憶にはなくても、赤ちゃんの時の安心感が自己肯定感と深い関係がある。

赤ちゃんの時に十分な安心感を得られなかったとしても、あなたの感じた世界観によく耳を傾け、あなたの感情体験をそのまま肯定し、あなたの感情をなだめ、あなたが望んだ時にだけほんの少しだけ適切なアドバイスをくれる。

あなた自身が問題を見つけ、その問題に取り組み、何度も失敗しながら成功するまで根気良く付き合ってくれる。

そういった理想的な養育を受けて育つと自己肯定感は自然と高くなります。

自己肯定感の低さや無価値観の根底には親から無条件で受け入れて、愛してもらったという感覚が薄いことが原因になります。

だからこそ、なんでそんなに自分のことを無価値だと思うのか?と問われても、条件を付けて褒められた経験が多ければ、条件なしで褒めてもらったり、愛されるわけないという刷り込みがされていて、当たり前すぎて自分でもよくわからないのです。

過去の自分の感情を受け入れていくことで徐々に、改善していくことも可能です。

役に立たなくても、迷惑をかけても、あなたは存在していていいし、生きていていいです。

まとめ

私達は基本的には他人の役に立つことで幸福感を感じることが出来るように作られています。

しかし、人の役に立つことが出来ないからといって自分はダメな人間だ、自分なんていない方が良い、自分には価値がないなど自己否定的になるのは正常な心の働きではありません。

自分が無価値でダメだと感じていると、役に立つことで価値を作り出し、その価値によって自分を肯定しようとします。

利他の幸福感によって自分の自己肯定感から来る自己否定感、無価値感、不安感などをごまかすことが出来ます。

その為、役に立つことに依存して自己犠牲を伴ってでも人の役に立つ存在になろうと無理して頑張り続け、その結果としてうつ病や不安障害などを発症します。

自己肯定感が低いことで、高い能力を得たり、周囲の人から認められるというメリットがあると、なかなか役に立つこと中毒から抜け出すことが出来ません。

養育環境により、このような状態になる為、あなたの過去と向き合って、辛い感情を開放していくことで、無価値観や自己肯定感の低さを改善していくことが可能です。

当院でご自分と向き合い、自己肯定感の改善したい方はお問い合わせよりカウンセリング予約をお取りください。

遠方でカウンセリングへの来院が難しいけれど、相談したいという方はオンラインカウンセリングをご利用ください。

心身堂鍼灸院院長
この記事を書いた人
鍼灸師 佐野 佑介

静岡県浜松市中央区和地山で自律神経・メンタル専門のはりを刺さない心身堂鍼灸院を開業。
自身も26歳の時にパニック障害から自律神経症状に苦しんだ経験を持つ。
パニック障害、広場恐怖症、うつ病などの精神疾患領域と起立性調節障害、機能性ディスペプシア、眩暈などの自律神経疾患の専門の鍼灸師。
国家資格 はり師(148056号)・きゅう師(147820号)
医薬品登録販売者試験 合格

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