プロフィール

はじめまして、心身堂鍼灸院の佐野佑介(さのゆうすけ)です。

院長プロフィールプロフィールをご覧いただきまして、ありがとうございます。

ホームページを読んで施術を受けてみたいと興味はでているけれど、どんな人が施術を行っているのかわからないと不安ですよね。

鍼灸・整体は病院のように薬や機械だけで行う治療と異なり、誰から受けるのかもとても大切です。

当院はカウンセリングを重要視していることもあり、あなたにとって安心して話が出来そうと感じられることも大切です。

私がどのような人なのか少しでもわかるように、私がどのような人生を生きてきたのかを知って頂きご参考に頂ければと思います。

自律神経・メンタル疾患を専門に扱うようになるまで、ところどころ重い話もありますがぜひ一読お願い致します。

生まれも育ちも浜松市

公務員の父と専業主婦の母。兄姉私の順番で3人兄弟の末っ子として1984年の12月に生まれました。

一歳を過ぎても言葉を話さなかったことから病院で調べたところ、耳の中に水が溜まる病気(おそらく滲出性中耳炎)で子供時代は聴力が低かったようです。

小学生の中学年頃まで、定期的に耳鼻科に行っていました。成長して自然に治る小学校3年生ぐらいまでの間はプールに入ることを禁止されていたので、いまだに泳ぐのは苦手です。

聴力は成長とともに正常範囲まで回復していますが、飲み会や人混み、TVが付いている状態など、色々な人が話している中で特定の人の言葉を認識するのが今も苦手です。

幼稚園は旭丘幼稚園に通っていました。行くのがすごく嫌で幼稚園バスに泣いたまま押し込まれるみたいな幼児でした。

分離不安があって幼稚園へ行くことを渋っていたのだと思います。

小学校卒業までは半田山に住んでいて、小さいながら兄の背中を追いかけて暗くなるまで山の中を走り回って遊んでいました。

怒ると壁や柱に頭突きで頭を打ち付けて感情を発散するという、異常な行動を小さいころから良くする子でした。

今、思うと偏った愛情のかけられ方をしていたと思いますが、言うことを聞かない、気に入らない行動や態度があると、しつけとして家から閉め出されることもありました。

閉め出される度に自分は必要ない、いらない子なのだと感じて泣きながら靴下のまま外を歩いていた記憶が強く残っています。

円形脱毛症

私自身は大人になってから聞いたのですが、幼稚園から小学校低学年ぐらいの間に、円形脱毛症が出来ているのを指摘されたことがあるそうです。

当時自覚はありませんでしたが、ストレスに弱い体質はこの頃からあったようです。

両親の関係があまりうまくいっておらず、小学校に入学したぐらいだったと思いますが、ある朝目覚めたら母が家にいない状態で、捨てられたようですごく悲しかったことを覚えています。

私が小学校2年生ぐらいの時に大きな夫婦喧嘩があり、夫婦喧嘩の後「どちらについていくのか考えておきなさい」と父が言い放って外出していった記憶があります。

結局、その時は喧嘩のストレスで母が胃けいれんを起こして入院した為、うやむやになって収束しました。

それからしばらくして父が単身赴任となり、小学校3年生ぐらいからは母と兄姉の4人で生活する期間が3年ほどありました。

兄が喘息持ちだったため、鍼灸治療をつけており、お腹を壊したときにそこで教わったお灸を母が足にしてくれた記憶があります。

今もお灸の匂いで落ち着くのですが、私が鍼灸師になった何らかのきっかけにはなっていたのかなと振り返ると思います。

私が小学校5年生になるぐらいに父が単身赴任から戻っては来ましたが、両親の関係は更に悪化していました。

母が少しずつ溜めていた貯金を父がこっそり使っていたらしく、そのことがバレて母が、目を血走らせながら「あいつ殺してやる」と言うのを見て強いショックを受けました。

父がまだ帰ってきていなかったので、子供なりに母を宥めようとはしましたが、うまくいかず、父が帰ってきてからも、母が父を殺してしまわないか不安と恐怖を感じながらも、様子を伺っていたことを覚えています。

幸い暴力沙汰にはなりませんでしたが、父と母の関係はどんどん悪化の一途をたどっていきました。

今後どうしていくのかが話し合われましたが、私が大人になるまでは離婚しないということだけを告げられました。

それからは、両親が顔を合わせると喧嘩するor無視しあうような冷戦状態の中で、両親が喧嘩しないように気を使いながら、板挟みにあいながらの生活が続きます。

経済的な理由から中学校入学と同時に母親の実家へ引っ越し、実家近くの中学校へ通い始めます。

中学に上がるとコンピュータと心理学に興味を持つようにもなり、心理学の簡単な入門書を読み始めるようになります。

おそらく自分の中の無価値観を何となく自覚し始めた時期で、自分に価値を感じられるような何かを求めるようになり、自分の中の価値観も「価値がない人間はダメだ」という歪んだ認知を持つようになっていきます。

立ち眩みや片頭痛が出てくるようになったのもちょうどこの時期で、片頭痛は鍼灸師になって自分の体に自分ではりをするようになるまで、続きました。

立ち眩みは起立性調節障害の子供と出会うまで、立ち上がればクラっとすることが普通のことだと思って異常であることに気が付いていませんでした。(小さいときから朝起きるのもかなり辛かったので、おそらく軽度の起立性調節障害だったのかもしれません。)

中学を卒業後、コンピュータの勉強が出来る工業高校へ進学しました。

しかし、高校1年生の終わり頃になり、母が「もう耐えられない」といって、あっさり両親の離婚が成立しました。

兄は既に自立しており、父の悪口を子供の時から聞き続けていた私は母方に残り、佐野の姓もこの時に変わったものです。

母は専業主婦で何十年も働いておらず、メニエール症候群で良く寝込んでいた為、経済力もありませんでした。

父から養育費は出ていましたが、母子家庭となり家計を支える為にコンビニで週6日5時間バイトをしながらの高校生活を過ごしました。

高校卒業後、祖父母が学費の援助をしてくれたことと、姉が就職して生活に関しては支えてくれるようになっ為、プログラミングを学ぶために大学へ進学させてもらいました。

大学1年の時は講義をとれるだけとって、朝から夕方までほとんど大学に行き通しで卒業単位の半分近くを1年で取り終えていました。

この頃から、ストレスが強くなると「自分の存在を消してしまいたくなるような感覚」に襲われたり、些細なことで怒って感情が不安定になる、感情が高ぶりすぎると過呼吸気味になったりするようになりました。

ストレス過多の状態になると自傷すると楽になることに気がついてから、ストレス過多になると傷跡が残らないように自傷していました。

自分の心がどこかおかしい感じはしていましたが、自分の心の中を覗くのが怖かったこともあり、これ以上深くは考えず、心理的なケアを受けることもなくそのまま過ごしました。

大学での成績そのものはそこまで悪くなかったものの、プログラミングを本格的に学ぶほど、更に優れた人と接することも増えて、プログラミングは私の無価値観を埋めることが出来るものではなくなり、プログラミングへの興味が色褪せていきました。

鍼灸師を目指す

そうやって悩んでいるうちに、鍼灸師(しんきゅうし)という職業に興味を持つようになりました。

人の役に立つ仕事をすることで、自分の無価値観が埋められると無意識に感じていたのかもしれません。

また、東洋医学には鍼灸で心にアプローチすることが可能であることも知り、より興味を持つようになりました。

昼間は大学に通いながら鍼灸の専門学校の学費を稼ぐために地元のレンタルビデオ店でアルバイトという2重生活を始めました。

通学も片道一時間半かかる大学だったので身体的にはきつかったですが、1年で単位をかなり取りえていたこともあり、バイト先の人も必要としてくれているということにとても充実感を持って働いていました。

鍼灸専門学校へ入学し、はり師・きゅう師免許取得

大学卒業と同時に常葉大学医療専門学校(現:常葉大学健康鍼灸学科)鍼灸学科へ入学し、鍼灸師の国家資格を取るべく練習と勉強に明け暮れます。

入学当初の私はクラスでもダントツに鍼(はり)もお灸(きゅう)も下手で、実技がある日はほぼ居残り練習でした。

私はとにかく上手くなって、いろんな人を治しまくれるようになりたい一心で人の3倍練習すると決め狂ったように毎日練習と勉強にあけくれていました。

しっかりと理解するまで何度も本を読むという習慣はこの時に身につき、この習慣は今も役立っています。

2年(学校は3年制)の時に、刺さない鍼(はり)に興味を持つようになり、大学生の時から始めたバイトのお陰で学費の目処が立っていたので、刺さない鍼をメインに行っている鍼灸師の勉強会に東京や滋賀まで毎月のように出かけて勉強していました。

卒後、無事、鍼灸師の国家試験を通過して免許を無事取得しましたが、卒後1年は知識の幅を広めるために、登録販売者っという薬の資格取得のために地元の杏林堂薬局で実務経験を積み、翌年受験し合格しています。

結局、資格自体は使用していないのですが、薬学の基礎を学び理解するきっかけとしてとても意義がありました。

法律上、薬についての相談や指導はできませんが、十分な薬のメカニズムの説明を受けていないことで不安になられている方に説明を行う際に役立っています。

はり修行で挫折する

就職先の鍼灸院は勉強会でお世話になった先生の鍼灸院で、はりを刺さない鍼灸を学ぶことが出来るという理由で、就職しました。

毎月勉強会にも出ていたので修行を積めば立派な鍼灸師に成長できると安易に考えていました。

今思い返すと支配的てパワハラ気質のある院長だったのだとわかりますが、理不尽な苦しいことにも耐えないと一人前になれないと、よくわからないことを信じていました。

わからないことを聞くとそれぐらい考えられなくてはダメだ!と叱責され、聞かずに考えて行動すると勝手に判断して行動するな!と叱責されるといういわゆるダブルバインド(心理的な二重拘束)を受けることが多く、次第に修行よりも怒られないことが目的化していきました。

注意をされたことに対して、恐怖と直そうという想いと同時に、そんなこともできない自分はなんてダメな奴なんだと自分を責める思考を毎日頭の中でぐるぐると繰り返していました。

就職してからは毎月のように風邪をひ供養な状態。ひどい腸炎になって血便が毎日のように出て便器が真っ赤になっていたこともあります。そんな状態でも病院にも一切行かずに出勤を続けていました。

半年過ぎたころから、毎日ずっと眠たい状態なのに頭の中はずっと緊張したような状態を自覚し始めますが、気の所為だと思ってそのままにしていました。

電話応対の際の言葉を常にチェックされるので電話が鳴ることが怖く、院長が言葉を発する度に緊張から心臓が絞まって痛みを感じ、息が止まるような感覚、動悸、胸が痛い、甘いもの過食などの症状が増えていきました。

判断力も思考力も低下してミスも増えて更に叱られるという悪循環でした。

働き始めてから1年になろうかという時に、勉強会の資料作りの連絡不備の謝罪のメール内容について院長、院長夫人からひどく叱られたことがとどめになり、職場で過呼吸発作を起こして倒れました。

この日を境に仕事もできる状態ではなくなってしまい、そのまま実家に戻って療養生活を送ることになりました。

ずっと全身がざわざわしていて、頻繁に過呼吸になり、胸が苦しく、動悸が止まらない。

希死念慮も強く出るようになり、電気コードなど紐と引っ掛けられそうな場所をみつけてはあそこに引っ掛けて首を吊って楽になれるんじゃないかみたいなことが毎日頭の中でぐるぐるしていました。

姉にも再び経済的に迷惑をかけていると思うと、自分なんていなくなればいい、消えてしまいたいという気持ちでいっぱいでした。

パニック発作を起こす前から、仕事が上手くできない自分はこの世に必要のない人間なのではないかという感覚を感じることが徐々に強くなってきていましたが、おそらく小さい時に作った「自分はいらない子だという感情の抑圧」が出来なくなり、一気に襲い掛かってきたのだと思います。

価値がない人間はダメだという中学生ぐらいの時に身につけた歪んだ認知もさらに自分を苦しめていきました。

パニック障害からの社会復帰

実家に戻ってからもパニック発作はおさまらず、パニック障害の症状である過呼吸、動悸、理由のない恐怖、不安に襲われる、自律神経失調症の症状である息苦しさ、手足のだるさ、うつ状態、希死念慮、手足の異常発汗で手足の皮がべろべろにめくれるなどの症状と毎日戦っていました。

幸いなことに不眠ではなく過眠だった為、昼頃まで寝て少量食べて30分ぐらいして寝る。

夕方起きて少量食べて眠るといった感じで、トイレなどを入れても起きている時間が4時間ないかぐらいで、ほとんど寝ているだけの生活を1ヶ月ぐらいしていました。

今振り返ると回復するために体が頑張っていてくれたのだと思います。

ほぼ寝たきりの生活をしていて、少しだけ回復したところで精神科を受診し、投薬治療を受けました。 しかし、薬をまじめに飲んでもあまり症状の改善は感じられませんでした。

本当はすぐに自分で自分にはりをすればよかったのですが、はりを見ることでフラッシュバックするかもしれないという恐怖から、なかなか自分自身にはりを行うことはおろか、はりを見ることすら怖くて出来ませんでした。

近くの漢方薬局でもらった漢方薬を飲んだところ若干ですが体調が改善し、胸の痛みがやわらぎました。

しかし、ある程度まで改善してからは漢方薬でも、それほど症状が良くなっていくということもなくなってしまいました。

失業保険にも社会保険にも入れてもらえていなかった為、労災も失業保険ももらえず、最後の月の給料ももらえなかったこともあって、治療費に出せるお金も徐々に底をついてきました。

漢方薬のおかげで若干体調が改善したので、今ならはりを使う恐怖を克服できるのではないか?というかすかな希望と経済的に追い詰められてきたこともあり、勇気を振り絞って自分で自分にはりを行う事をし始めました。

自分の体にはりをするようになってから、起きていられる時間が少し増え、うつ状態も弱くなって、希死念慮も強いものは減っていきました。

パニック障害発病から4ヶ月後に、動悸や不安感、何かすると疲れてすぐに眠くなり、数時間の睡眠は必要になる状態ではあるものの、起きている時間も増えて日常生活が少しずつ送れるようになってきました。

外出も数時間であれば出来るようにもなってきたので、社会復帰を自分でも考えるようになりました。

相変わらず疲れやすく動くと寝ることは多いものの、動かなければ昼間に眠らずに過ごすことも出来るようになってきました。

ちょっとしたプレッシャーでも動悸と息苦しさが出て、物凄い不安になり易い状態ではあった為、再就職してまた同じようにおかしくならないか?バイトを始めて仕事内容を教えられる際に怒鳴られた記憶がフラッシュバックしてこないかという恐怖と、1時間外出するだけでも眠気がすごく強く出るなど、体力もまだまだ戻っていない状態でバイトをするのも難しい感じがしていました。

色々考えた結果、自分のペースで仕事が出来るように実家の使っていない部屋を借りて鍼灸院を開業という道を選びました。

開業当初は知人を中心に診させて頂いておりましたが、それでも一人診させて頂くと眠気とだるさがひどくなりその日と翌日1日は寝ているという状態でした。

最初は知人のみだったので、ほとんどが開店休業状態ではあったものの、本当に少しずつ仕事の量が増えていくことで結果的に適切なリハビリになり、再発することなく徐々に社会復帰することが出来ました。

徐々に、1日に2人、3人と1日に診られる人数も徐々に増えていき、来院される方も少しずつ増えていきました。

精神科でもらっていたパキシル(SSRI)もしばらく飲み続けていましたが、効果を実感できないことから勝手に薬をやめました。(危険な行為なので真似はしないでください。)

薬をやめてから急激に体力が戻って活動した後に眠くなることも少なくなり、活動量も増えていきました。(薬の副作用には書かれていませんが、体力が低下するという副作用が出ていたようです。)

この頃にはパニック発作はほとんど出ておらず、胸の違和感や焦燥感、不安感、動悸などの症状が出たりでなかったりという感じではあったものの、無視してそのまま動いていれば気にならなくなるといった感じで生活をしていました。

徐々に来院してくださる方も増え、色々な症例を診させて頂くうちに、自分が頭痛の改善が得意だということに気がつき頭痛について専門的に勉強して、頭痛専門の鍼灸院へとシフトしていきました。

私自身が中学の時から悩まされていた片頭痛は自分の体に自分ではりをすることで改善できていた経験があった為、得意だったのかもしれません。

頭痛専門にしたことで、様々な頭痛の症例を担当させて頂くことになりましたが、症例数が増えるにしたがって、改善できない頭痛と遭遇することも増えるようになり、どのような共通点があるのかを模索し始めます。

そして、辿り着いた結論が自律神経の乱れ心理的な問題などを抱えた方の頭痛であるということでした。

そのヒントになったのが、仕事をやめたら頭痛がそれ以来でなくなった方、高校をやめて通信制へ転校したら頭痛がでなくなった方の存在です。

悩み事を抱えられて頭痛で来院されている方に、自分の感情を抑圧することをやめるようにリフレーミングという簡単な心理療法させて頂いたところ、環境を変えずに頭痛が改善する方も出てきました。

心理的アプローチをすることで悩み事の捉え方が変わって頭痛が改善されていかれる方と、悩み事の捉え方を変える心理療法では改善が難しく、環境を変えない限り症状が続いてしまう方、両方がいることもわかってきました。

心と体の関係に気がつき、施術法が大きく変化する

徐々にパニック障害やめまい、動悸、だるさといった自律神経失調症の方を診させて頂く事も増えてくる中で、身体と心の関係性に気がつきます。

カウンセリングを丁寧に行っていく中で、本人の中に気づきが得られると今まで出ていたコリがスっと消える。

身体のこりを改善するとネガティブな感情が出にくくなる。

心と身体がお互いに影響し合っているということは多くの方がご存知だとは思いますが、改善しやすいアプローチが身体側のこともあれば心側のこともあるということです。

カウンセリング(心)だけ行うだけでもだめですし、鍼灸(身体)だけ行うだけでもダメな場合は反対側からアプローチする必要性に気がついたのです。

鍼灸だけでなく心理療法についての知識を身につける為にカウンセリングや心理療法に関するアプローチ法も学び、心理療法も積極的に併用していくようになりました。

移転を契機に自律神経専門へ

開業以来、実家の一室を鍼灸院として利用させてもらっていましたが、2017年和地山への移転を機に心と体の両方の健康のお手伝いをするというコンセプトの自律神経専門院として再出発をすることにしました。

パニック障害の発症から5年が経過してパニック発作は全くといっていいほどでなくなっていました。

日常生活に支障が出るほどではありませんが、時々不安な感情が上がってくる、胃のあたりが差し込む、気分が落ち込む、時々出てくる強めの希死念慮、息苦しい、季節の変わり目や寒さが厳しい時期、強い心理ストレスがかかっているときは出る状態そのものは依然として続いていました。

一人暮らしになり、自由になる時間も増えたことで、施術法と心理療法の研究に没頭していきました。

アキレス腱を切ったことで自律神経・メンタルの改善法の間違いに気が付く

改善できない認知の歪みについてもやもや考えてはいましたが、答えにたどり着けないまま過ごしていました。

そんな時、久しぶりに行ったスポーツ中に右のアキレス腱を切ってしまいリハビリで運動を行う必要が出てきました。

私にとってラッキーだったのは、運動習慣がつくようになってから、残存していた自律神経症状の一部が緩和されるようになってきたのです。

今まで施術と心理療法だけで改善しようとしてもある一定以上改善が進まなかった自律神経やメンタルの残存症状が、運動をするようになってから改善し始めたのです。

施術や心理療法を使った自律神経症状の改善方法を6年以上も研究してきた私にとっては衝撃的な出来事でした。

心という漠然としたものから、神経活動によって作り出されたものが心であり、心理療法は神経活動に影響を与えるアプローチ方法であるというように心の捉え方が変化していきました。

それから徐々に運動、栄養、呼吸、睡眠、光、生活習慣など、生理学的な観点からどういうメカニズムで神経の活動が支えられているのか?を勉強し、自分の身体で効果を出すためのやり方のポイントを探すために実験を繰り返していきました。

それまでは、「施術で自律神経・メンタルを整えることが出来る!」という根拠なく考えていましたが、原因にあったアプローチ法をしないと自律神経やメンタルは安定してこないという現実に即した考え方ができるようになっていきました。

おわりに

長文にお付き合いいただきありがとうございます。私の人柄や改善方針について少しでもご参考になれば幸いです。

自律神経に異常を感じた初期に長期ストレスから離れて、十分な休養を取ることが出来れば治療が必要なほど深刻な状態まで悪化することはあまりありません。

しかし、自分が自分を大切にできない理由を知ったり、その傾向があることを自覚する必要がありますが、それは同時に過去の辛い感情と向き合うことでもあります。

心身堂鍼灸院は、私があなたの病気を治すような場所ではありません。

あなたが、あなたを大切にできるようになること、そのきっかけとなる場所です。

自分の心や体の声を聴けるようになり、あなたがあなたを肯定した生き方をしていくことで、自律神経の問題はどんどん良くなっていきます。

もちろん、身体的な問題から自律神経が乱れている場合には、施術で改善の手助けになるようサポートさせて頂いています。

当院があなたの気づきの場になれるようお手伝いさせて頂ければ幸いです。

資格等

・はり師きゅう師(国家資格)
・医薬品登録販売者(合格)